天なびコラム

第7479話

2021年04月19日

「情緒」で捉える

今日4月19日は、私の敬愛する数学者の一人、岡潔(おか きよし)(1901〜1978)の誕生日です。
岡は、パリ留学中に、雪結晶の研究で有名な中谷宇吉郎と交友し、大学教員時代には、湯川秀樹や朝永振一郎に数学を教えたそうです。 また、ある時期から大学を離れ、和歌山の田舎で農耕生活をしながら一人で研究をし、多変数複素関数論の研究で当時の最先端を切り拓いたことでも有名です。
しかしそういった経歴や実績よりも、私が感銘を受けているのは、「数学にとって、数式や論理の操作はあくまで表面的なもので、本質は、数学を生み出す人間の『情緒』にある」という考えです。
岡の言う「情緒」は、よく野菜に例えてこう説明されます。
数学の成果は、野菜で言うと収穫される部分であり、それをよく観察したり種を取ったりしても、また同じような実りあるものを作れるかはわからない。重要なのは、野菜を育む土壌のほうである。同様に、数学を育むために人間に備わっている土壌のことを、岡は「情緒」と呼び、その情緒を培うところから数学をするべきと考えていました。

一方、同じ頃ヨーロッパでは、ブルバキという数学者のグループが台頭し、数学全体を集合論という基礎から厳密に捉え直すという流れがありました。
そんな中、ブルバキの代表的メンバーであるアンドレ・ヴェイユが岡潔と奈良県で会合をしたとき、こんなやりとりがあったといいます。
ヴェイユがブルバキの思想をそのまま言うように「数学はゼロから」と言ったのに対し、岡は「ゼロまでが大切」と返したそうです。その真意までは不明ですが、ここで言うゼロまでというのが、数学を生み出す人間の「情緒」のことだと思われます。
このやり取りは禅問答のようですが、岡に関する、私の非常に好きなエピソードです。

お天気も同じように、「情緒」で捉えることができれば素敵ではないかと思います。雨が降るかどうかといった結果的なことだけではなく、なぜこのような天気になるのかというような、それが観測される前の「ゼロまで」の部分に思いを馳せると面白いかもしれません。


執筆者:ありんこ